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不動の滝 〜陸前高田訪問記〜

滝の里工業団地仮設住宅

復興公営住宅中田団地

モビリア仮設住宅

東日本大震災後2012年2月から主に岩手県陸前高田市内の仮設住宅及び復興公営住宅で開催している「がんばっぺし☆なごや」による「みんなで唄う音楽会」は今回(2018年4月20日、21日)で19回目の訪問となりました。(写真は上から 滝の里工業団地仮設住宅、復興公営住宅中田団地、モビリアオートキャンプ場仮設住宅)

我々 がんばっぺし☆なごやが開催するみんなで唄う音楽会は、演奏や唄を聴いてもらう催しではなく震災によって抱えてしまったストレスを少しでも軽減してもらえるよう、みんなが知っているような唄をレパートリーにして一緒に大きな声を出して唄おう!というイベントです。これまで延べ100人程のミュージシャンやスタッフに参加していただきました。

「復興支援」「応援」「ボランティア」

そんな言葉を用いて最初のうちは鼻息を荒くしていましたが、やがてそれがどれほどおこがましいことなのかと思うようになりました。回数を重ねるうちに現地の方々と繋がったご縁は「ボランティア」と「被災者」という関係ではなく「家族」「友人」のように思いはじめました。そんな大切な人たちを笑わせることができたら、と試行錯誤しながら開催してきたからそういった言葉は必要なくなりました。

一番上の写真の中には、2018年3月で解散となった高田一中仮設住宅に住んでいた方も会いに来てくれました。学校の校庭に建てられた仮設住宅はいち早く解体して子供達に校庭を返していく流れなようです。とはいえ震災から7年たち、教室の窓から見える校庭が仮設住宅のまま入学〜卒業した生徒が沢山いると思うと心苦しくなりました。

また、昨年営業終了した大船渡の屋台村(http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201703/20170327_33033.html)でお店を営んでいたはっちゃんも駆けつけてくれて「なべやき」というパンケーキのような美味しい食べ物を差し入れしてくれました。(はっちゃんのブログ http://forestangel.5502710.com/) 8月には新しいお店を再開するという嬉しい報告もいただきました!

モビリア仮設 ギターケースを背負ったお母さん。今回の訪問前に用意しておいたギターをプレゼントしました。

前回2017年11月の訪問時に僕が弾いていたギターを触らせて欲しいと言われて そこでギターに触れていたお母さんは満面の笑顔で楽しそうにギターを抱えていました。その時にプレゼントする約束をしていたのです。今回渡したギターを嬉しそうに抱え「大事にします!ありがとう!!!」と言ってくれました。僕は「ギター弾けるようになるまで長生きしてね」と伝えてみんなで笑い嬉しい気持ちになりました。

2日目のスケジュールは珍しく午前がフリー。以前 中田団地で出会ったMくんに教えてもらった 彼のおじいさんを中心に整備している陸前高田市 氷上山中腹に流れる「古滝」別名「東滝」「不動の滝」に行くことになった。

いまいち正確な場所がわからず近くの施設「サンビレッジ」で道を聞くことにして、別のメンバーが道を聞いている間に隣接する「サンビレッジ仮設住宅」に住んでいるTさんを訪ねることにした。

Tさんは我々がいつも利用している「鈴木旅館」のお風呂で出会った方で陸前高田の美味しいもの「熊谷ホルモン」や「酔仙酒造 雪っこ」などを教えてくれた方。また毎回訪問時には「名古屋の人にはお世話になっているから」と いろんなものを申し訳なくなるくらい差し入れしてくれて、時にはバーベキューを用意してくれたり、仮設の自宅に僕らを招待してご馳走してくれたりと本当にお世話になっている方なのです。

ちなみに鈴木旅館のお風呂は昨年まで仮設住宅に住んでいる人たちに無料開放されていましたのでTさんもほとんど毎日お風呂を利用していたようです。

Tさんが留守だったのでリーダーがTさんに電話をかけました。電話を切ったリーダーは「Tさん 去年亡くなったって」と。え? それと同時に不動の滝の場所を聞いていたメンバーが「不動の滝ってクリーニング屋の〇〇さんが整備しているところ? それならその道を曲がって...」となんとなく場所がわかり、確かにMくんの苗字と同じでしたので場所は間違いないと確信しました。そしてTさんとMくんの苗字が同じなことに気づき、クリーニング屋だったTさんのお孫さんがMくんだったことがわかりました。

とにかく滝に行こう。

迷いながらたどり着いた不動の滝は綺麗で落ち着ける場所でした。

東滝
東滝

東滝
東滝

Tさんとは一昨年の8月から会えていませんでした。

訪問時に何度か連絡をしたところ最後に連絡したのは昨年の4月。その時電話に出たのは奥さんで入院されているということは知っており またそのことは黙っておいて欲しいと言われました。その後の2回は宿を鈴木旅館ではなくモビリアのコテージで宿泊したことと、入院中で大変な時ではないかとTさんに連絡しませんでした。

今回は久しぶりに鈴木旅館に泊まり、リーダーはTさんが来るであろう時間に風呂に入り 察しの通りTさんには会えずその次の朝 不動の滝にたどり着きました。Mくんに初めて会って不動の滝のことを聞いた時はすでにTさんはなくなっていたことになります。

TさんはMくんと僕らを出会わせてくれて、滝にたどり着く前日の夜リーダーと一緒にお風呂に入って、不動の滝に誘ってくれた気がしました。

桜

不動の滝に桜の花ひとつ。この滝周りには桜の木がないからとても不自然だった。

「Tさんがきっと連れて来てくれたね」僕らは泣いた。そしてここに来ればTさんに会える気がした。

ありがとう。

広田湾

不動の滝を背に下っていくと広田湾が見えるポイントがありました。訪問回数を重ねても知らない場所はたくさんあります。僕らの活動がどれほどの意味があるのかはわかりませんが、こんな綺麗な陸前高田をもっと知り、伝えていくこともひとつの役割なのかもしれません。

また、出会った以上これから先 Tさんのことのような別れを体験することになると思うけど、それも含めたがんばっぺし☆なごやの活動なのかもしれないと改めて覚悟しつつ まずは笑顔の花を咲かせることを続けていきたいと思います。

偶然にも翌日の新聞にこんな記事がありました。不動の滝、Tさんのことが記事になっています。是非お読みください。 https://tohkaishimpo.com/2018/04/22/202166/

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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